國體護持總論
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著書紹介

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昭和二十二年五月

一日、『皇室典範及皇室典範增補廢止ノ件』。翌二日限り廢止。

 同日、山形縣酒田市の東京裁判出張法廷で、石原莞爾が證言。石原莞爾はこの法廷で「自分が戰犯でないのは納得できない」と發言。

 二日、『外國人登録令』(敕令)公布。

 同日、マッカーサーは、吉田茂宛書簡で、國會などにおける國旗掲揚を許可。

 同日、樞密院官制廢止の件、官吏服務規律改正、各公布。皇室祭祀令廃止。
 三日、『日本國憲法』(占領憲法)、『皇室典範』(占領典範)施行。『憲法施行後に有效な政令に關する件』公布。

 このときの昭和天皇の大御歌は、「うれしくも國の掟のさだまりてあけゆく空のごとくもあるかな」の一首であり、また、歳晩には「冬枯れのさびしき庭の松ひと木色かへぬをぞかがみとはせむ」、「潮風のあらきにたふる濱松のををしきさまにならへ人々」の二首がある。

 六日、天皇、マッカーサーとの第四回會見。

 八日、GHQは、食糧十五萬トンの放出を許可。これにより、五月は遲配なしの見込みがたつ。

 十三日、東京裁判で「南京事件(南京大虐殺)」の審理が開始される。

 十七日、參議院無所屬議員五十八人が「緑風會」を結成。

 同日、石橋湛山蔵相ら三閣僚が公職追放になる。

 二十日、第一次吉田茂内閣が總辭職し、特別國會召集。

 同日、「緑風會」の構成議員數が九十二人に增大。參議院最大勢力となる。

 二十一日、GHQは、日本の呼稱として「帝國」の使用を禁止する。

 二十三日、衆參兩院は、社會黨委員長片山哲を首相に指名。

 二十四日、マッカーサーは、社會黨書記長片山哲の訪問を受け、片山がキリスト教徒であること喜ぶ聲明を出す。また、片山に「日本は東洋のスイスとなるべきだ」と言ひ、「東洋のスイスたれ」が流行する。

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