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トップページ > 各種論文目次 > H18.01.07 國體護持:条約考3(続き)

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憲法的条約

繰り返し述べるが、ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印とは、いづれも、帝国憲法第13条の講和大権の行使により締結された「独立喪失条約」である。これを帝國憲法に従つて考察すれば、上記の独立喪失条約の内容は、統治大権(第4条)を制約し、統帥大権(第11条)及び編制大権(第12条)を停止したことになる。そして、これらを停止することを受諾する権限が講和大権といふことになる。このやうに解釈できるためには、各天皇大権の権限序列において、講和大権が、統治大権、統帥大権及び編制大権に優越し、統治大権を制約し、統帥大権及び編制大権を停止しうることが憲法上許容されることが肯定されなければならない。

戦争の結果は、必ずしも正義が勝利するとは限らず、国家滅亡の危機に遭遇することもありうる。大東亜戦争はまさにそのやうな世界的な思想戦争であつた。それゆゑ、講和大権とは、戦争を終結させるための諸条件など、対手国と停戦講和に関する合意を行ふ権限であつて、その内容は、国家滅亡を回避するための広範な権限を含むはずである。しかし、國體(規範)を含め、憲法改正手続によつては改変しえない根本規範をも完全否定した講和は、国家の同一性を損なひ、国家の滅亡を来すこととなるので、講和大権と雖もそのやうな権限まで授権されてゐない。ここに講和大権の限界が自づと存在するのである。しかし、講和大権は、国家緊急権として、國體と根本規範以外の通常の憲法規範(統治技術的な規定など)については、國體と根本規範を維持する必要がある場合に限つて、これを改廃しうる権限があると考へられねばならない。現実にも、國體護持のため、講和大権によつてポツダム宣言を受諾し、皇軍の完全武装解除を受諾するなど根本規範に属する統帥大権、編成大権、統治大権を制限ないしは停止するに至つてゐるからである。それゆゑ、このことから、ポツダム宣言の受諾は、講和大権の行使によつて、根本規範に属する統帥大権、編成大権、統治大権を暫定的に「停止」ないしは「制限」させる限度で有効であり、将来において独立(停止障碍の喪失)した場合には、これら停止、制限されきた根本規範条項は当然に復原するものと理解される。あくまでも停止、制限ができるのであつて、完全否定することはできない。ポツダム宣言も断定的な保障占領を求めてをり、占領終了後の再軍備については否定しなかつたので、これはあくまでも大権事項の停止、制限であつた。そして、実際においても、後述するとほり、最終講和条約発効により、独立して停止、制限されてきた障碍が喪失して自衛権が復活したことから、これら停止、制限されてきた大権事項もまた全て復原したと解されることになる。

いづれにせよ、講和大権が行使される場合、第73条の憲法改正手続によらずして有効に改廃しうることを予定してゐることになる。その意味で、國體及び根本規範を維持するため通常の憲法規範を改廃する内容を含む講和大権の発動による条約は、國體を含め正統憲法の根本規範以外の憲法事項を定め、あるいは改正する内容の条約といふ意味で、「憲法的条約」と呼ぶことができるが、これは、正系の憲法改正手続を定めた帝國憲法第73条とは異なる傍系の憲法改正手続と云へるものであり、国内法秩序からすれば「奇胎」であるから、早晩これを復原させる義務を負ふものである。

同じく帝國憲法第13条に規定する大権のうちでも、一般の条約締結大権については、國體及び根本規範はもとより、通常の憲法律に違反することもできないものであつて、この点において講和大権は特別な大権と言ひうる。

而して、ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印の結果、「皇軍の無条件降伏」は「統帥大権(帝国憲法第11条)の停止」として、「皇軍の完全武装解除」は「編制大権(同第12条)の停止」として、さらに、「軍事統治による保障占領の受忍」は「統治大権(同第4条)の制限」として、それぞれ暫定的なものとして受け入れることを具体化したのである。

また、この外にも「カイロ宣言の条項は、履行せらるべく、又日本国の主権は、本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし。」(第8項)として領土の侵奪を受け入れ、「吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰を加へらるべし。」(第10項前段)として極東国際軍事裁判その他の戦犯処罰を受容した。さらに、「日本国は、其の経済を支持し、且公正なる実物賠償の取立を可能ならしむるが如き産業を維持することを許さるべし。但し、日本国をして戦争の為再軍備を為すことを得しむるが如き産業は、此の限りに在らず。右目的の為、原料の入手(其の支配とは之を区別す)を許可さるべし。日本国は、将来世界貿易関係への参加を許さるべし。」(第11項)として経済産業に対する統制と制限を講和大権の発動により受け入れた。

そして、「日本国政府は、日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すべし。言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は、確立せらるべし。」(第10項後段)として、表面上は民主主義的傾向の復活強化と基本的人権の尊重を受け入れたこととなつてゐるが、実際は、「吾等は、無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至る迄は、平和、安全及正義の新秩序が生じ得ざることを主張するものなるを以て、日本国国民を欺瞞し、之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力及勢力は、永久に除去せられざるべからず。」(第6項)として、特定の思想と政治勢力の排除をも講和大権の発動により受け入れた。つまり、GHQによる自由主義の否定(思想統制)を受け入れざるを得なかつたであつた。

占領基本条約としての占領憲法

この独立喪失条約に基づき占領憲法が制定され、極東国際軍事裁判(東京裁判)が断行されたのであつて、占領憲法と東京裁判とは、形式的な名称とは異なり、その実質は講和条約の内容を形成するものである。

「憲法」ではない「占領憲法」、「裁判」ではない「東京裁判」である。この二つは、占領政策の要諦となる二大政策であつて、これこそ講和条約群の核心部分なのである。しかし、独立喪失条約がホロコースト宣言の強制によつても無効とはならないのと同様に、占領憲法が「憲法」としては無効であり、東京裁判が「裁判」としては無効であることは当然であるとしても、いづれも「講和条約」の内容としては「有効」と判断されるのではないか。つまり、東京裁判が「裁判」の名に値しない不公正、不条理なものであることから、「裁判」としては無効であることは当然であるとしても、それを「講和」の内容としても無効であるとすることはできないのと同様に、占領憲法が国内法の論理によつて「無効」であることは当然であるとしても、それを「講和」の内容としても当然に無効であるとすることはできないからである。これは、いままで、東京裁判無効論や占領憲法無効論に欠落してゐた視点であることを率直に認めなければならない。

この相対的評価の視点こそが重要であつて、特に、占領憲法に関する解明を行ふためには、さらに、「無効行為(無効規範)の転換」と「無効行為(無効規範)転換後の追認」といふ二つの前提問題に言及する必要がある。といふのは、独立喪失条約も東京裁判も、そしてさらに後述する最終講和条約についても、いづれも形式的にも実質的にも連合国との合意によるものであつたのに対して、占領憲法は、実質的には連合国との合意であつたものの、形式的には国内法として位置付けられたため、それが国際法上の「講和」と評価できるだけの「適格性」があるか否かといふ点についてのさらなる検討が必要となるからである。

無効規範の転換

「無効行為(無効規範)の転換」といふ概念がある。これは、ある法律行為(立法行為)がそれ自体としては無効であるとしても、それが他の法律行為(立法行為)の要件を具備してゐる場合には、法的安定性を維持する見地から、その限度において、その無効行為(無効規範)について他の法律行為(規範)としての効果を生ぜしめることをいふのであり、一般には私法行為に妥当する理論である。私法の例で言へば、地上権設定契約としては無効な行為を賃貸借としては有効であると評価したり、手形としては無効なものを借用証書としては有効であるとするやうな場合である。

これを公法に当て嵌めた場合、ある法規(立法行為)が無効とされた場合、それがその上位に位置する法規として有効とすることはおよそあり得ないが、下位に位置する法規として有効と評価しうることがあり得るが否か、具体的には、占領憲法が帝國憲法の改正としては無効であつたとしても、帝國憲法の下位法規である法律、勅令、条約として有効と評価し得るか否かといふことになる。既に、法律と勅令については述べたので、以下では条約について言及する。

このことに関して、帝國憲法第76条第1項には、「法律規則命令又ハ何等ノ名稱ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ總テ遵由ノ效力ヲ有ス」と規定されゐる。ここに「何等ノ名稱ヲ用ヰタルニ拘ラス」とあることから、法形式ないしは規範名称に拘はらず、帝國憲法に矛盾しない限度で下位法規としての効力を有することを意味するのであつて、この無効行為の転換を認めた規定と解釈されてゐる。それゆゑ、独立喪失条約の履行として同じく講和大権の発動として成立した占領憲法(講和条約)は、それが國體と根本規範に反しない限り、「此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令」として効力を有することになるのである。ただし、國體と根本規範以外の憲法事項について変更された条項については、国内的には暫定的な効力しかなく、速やかに復原させる義務を負ふことは前述したとほりである。

ところで、占領憲法及び最終講和条約の公布に伴ひ、帝國憲法下及び占領統治下に制定された法令が、独立回復後にどのやうな効力があるかについては様々な議論があつた。とりわけ、占領時代の「占領目的阻害行為処罰令」(昭和25年政令第325号)が講和独立後にどのやうな効力があるかについての論争は、これに関する大きな示唆を与へてゐる。そして、このやうな論議に関する有権解釈として一定の見解を示したのが、「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」(昭和22年4月18日法律第72号)及び「日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定の効力等に関する政令」(昭和22年5月3日政令第14号)であつた。

このうち、法律第72号の第1条には、「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で、法律を以て規定すべき事項を規定するものは、昭和二十二年十二月三十一日まで、法律と同一の効力を有するものとする。」とあり、政令第14号には、「日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定は、昭和二十二年法律第七十二号第一条に規定するものを除くの外、政令と同一の効力を有するものとする。昭和二十二年法律第七十二号第一条に規定するものを除くの外、日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定中『勅令』とあるのは『法律又は政令』、『閣令』とあるのは『総理庁令』と読み替えるものとする。」とされてゐたのである。

つまり、これらの法令により、「法律事項を規定した命令」を「法律」と、「勅令」を「政令」と、いづれも同一の効力を有するものとし、「ポツダム緊急勅令」に基づき発せられた命令(ポツダム命令)の効力は占領憲法施行後も維持されることになつたのである。

しかし、法律事項を規定した命令は、たとへ帝國憲法第8条の「法律ニ代ルヘキ勅令」である「ポツダム緊急勅令」に基づくものといへども、この緊急勅令は命令に対して法律事項の白紙委任を定めてゐたため、帝國憲法下の解釈においても「絶対無効」である。従つて、この無効な命令を法律とするためには、手続的には、一旦その命令を全部廃止し、その上で同様の内容の法律を制定せねばならない。しかし、前掲昭和22年法律第72号は、その法律制定手続をもつて、明示的に、無効な命令を有効な法律に転換させたのである。このことは、公法における「無効行為(無効規範)の転換」を明確に肯定したことによるものと理解できる。

そこで、一般に、無効な規範が条約に転換するための要件を考察するに、その要件として、まづ、第一に、「転換適格性」が存在しなければならない。即ち、当該規範の内容に条約としての国家間の合意事項が含まれてゐなければならず、これがなければ凡そ条約へと転換しうる適格性がなく、前提を欠くことになるからである。本来ならば、純粋に国内法の領域に関する事項であれば、その適格性はないことになるが、その事項がGHQによる内政干渉的な要求に基づいてなされた合意であれば、それがいかなる内容であつてもその適格性があるといふことになる。そうであれば、字句の微細な相違はあつても、GHQ側の講和条約案である「GHQ憲法草案」の要求項目と占領憲法(講和条約)の規定事項とは完全に一致してゐるので、全体として占領憲法には条約としての転換適格性があることになる。

そして、第二の要件として、法形式の異なる規範が他の規範に転換されたと評価されるべき「事実の慣習的集積」が存在しなければならない。即ち、国内的及び国際的な事情において、条約として転換されたと評価しうる程度の反復継続した事実が集積し、それが条約としての国際的信頼性を形成することによつて、規範性が付与されることである。これが国内法体系における場合とは異なる国際的慣習なのである。これは、デュルケムの「集合表象」(集団表象、社会的表象)と同趣旨と理解されても差し支へない。

思ふに、占領憲法は、連合国が我が国に占領憲法の内容のとほりの憲法の改正を義務付けた(強制した)性質のもので、形式的にも国会の制定手続を経たものであり、帝國議会における条約の批准と同様の手続を履践してゐる。そして、我が国は、連合国との間で締結された講和条約及びこれと同時に連合国の幹事国であつたアメリカとの間で締結された「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(昭和27年4月28日条約第4号。旧安保条約)によつて、やうやく独立が回復された後も、特にアメリカとの通商経済関係を深め、両国政府間においても、これらに関連する各種の条約を締結して今日に至つてゐる。そして、このやうな一連の条約群の締結による日米両国政府間の密接な国際関係の形成や国会審議の経緯からしても、占領憲法は、旧安保条約等との一体的運用によつて、両国間の基本的条約として尊重し遵守してきた実績があるのであるから、「条約」として「転換」されたと評価すべきである。さらに、占領憲法は、自衛隊(第9条)、靖國神社(第20条、第89条)の問題について、国内事情には大きな変化がないにもかかはらず、国際的な事情などの変化や諸外国の要求によつて解釈適用が影響されてをり、およそ最高規範としての尊厳と信頼がなく、実質的にも条約としての運用がなされてゐると云へるからである。

では、さらに、占領憲法の個々の規定について、これらの要件を満たすか否かを個々の条項毎に検討してみよう。

まづ、占領憲法は、非独立を前提としてゐたため、形式的に帝國憲法の改正といふ法的連続性を保たせるやうに企図したものの、実質的意味の憲法に固有な、統治権の絶対性(不可侵性)や国家緊急権に関する規定を全く置かない不完全な規範となつてゐる。そして、その編成形式は帝國憲法の構成とほぼ同一ではあるが、「第一章 天皇」の次に「第二章」として「戦争の放棄」の章を組み入れた。この第二章の性質は、天皇大権である統帥大権、編成大権を否定するものであつたために、「第一章 天皇」の章の次に規定となつてゐるのである。この第9条第1項(戦争の放棄)は、形式上は天皇の宣戦大権の否定を意味する。そして、第9条第2項前段(戦力の不保持)は、ポツダム宣言の「完全武装解除」を確認し、その状態を継続させることを義務づけた規定であり、さらに、同第2項後段(交戦権否認)は、ポツダム宣言の「無条件降伏」と「自衛権の否定」を確認し、「非独立の受忍」を継続させることを義務づけた規定である。つまり、これらは、ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印の内容である統帥大権等の「停止」、「制限」を超えてを「否定」までしたのであつて、講和大権の発動による憲法的条約としても無効である。また、その他の天皇条項について、帝國憲法の國體及び根本規範と抵触する規定は、いづれも絶対的に無効であつて、条約として転換しうる余地はない。

ただし、人権条項や統治機構の組織的・技術的条項の変更は、根本規範に抵触しないし、さらに、地方自治制度のやうに、本来は法律事項であるものについては、憲法的講和条約として転換しうるのである。

しかし、繰り返し述べるが、国内法の論理と国際法の論理とは峻別されるのであつて、無効な憲法改正行為が、その制定過程や帝國憲法の解釈により、他の法規範(憲法的講和条約)として転換され、しかも、その個別的な条項の効力に差異の生ずることを肯定することは、占領憲法が帝國憲法の改正法としては絶対に無効であるとする見解と何ら矛盾するものではないのである。

無効規範転換後の追認

次に、以上のとほり占領憲法が条約として転換されたとしても、そのことから直ちに占領憲法が憲法的条約として有効であるといふことにはならないとする点である。厳密に言へば、転換が「成立」したとしても、それが「有効」であるとは直ちに肯定できないといふことである。

しかし、転換の「成立要件」である「事実の慣習的集積」は、原則として転換の「有効要件」であり、政府間による明示の追認合意がなくても、条約として有効化するのが国際慣習法である。この点が、国内法における追認とは異なる点である。つまり、この事実の慣習的集積自体が国際法に著しく違反しない限り、国際的承認を得て有効となるのであつて、占領憲法は憲法的講和条約として有効にその一部が追認されたと評価される。

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