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トップページ > 各種論文目次 > H18.01.07 國體護持:条約考5(続き)

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講和条約群の効力比較

比喩を用ゐれば、ポツダム宣言の受諾に始まり、最終講和条約に至るまでの非独立時代を長い「トンネル」に喩へることができる。この「非独立トンネル」の入口に、ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印といふ独立喪失条約があり、これは「入口条約」である。そして、占領憲法といふ「中間条約」の地点を経て、足かけ8年の道のりを走り続けて、やうやく出口に向かふ。その出口に最終講和条約の独立回復条約である「出口条約」がある。かくして、我が国は、これら一連の講和条約群といふ長いトンネルを抜けて独立を回復したのである。

しかし、この独立も旧安保条約の存在により不充分なもので、朝鮮戦争が停戦した昭和28年7月27日以後においては、むしろ逆に対米従属をより一層深めて行つた。アメリカが極東戦略を全面的に見直す中で、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定(MSA Mutual Security Act)」(昭和29年5月1日・条約第6号)を締結し、我が国が防衛力を持つことを義務付け、これにより自衛隊を発足させた。そして、昭和31年には我が国を敵国とする国連に加盟させ、昭和36年には食料自給率を低下させる目的の「旧農業基本法」を制定させることになる。

我が国は、昭和4年に起きたアメリカの大恐慌と、ホーリー・スムート法といふ高関税法による保護貿易政策、昭和7年のオタワ協定によるイギリス帝国経済ブロックの形成などによつて、食料・資源エネルギー危機を招いたことが大東亜戦争の誘引となつたことから、英米は、その戦争終結前の昭和19年に、現在の国連体制の一翼を担ふIMF体制(ブレトンウッズ体制)によるワンワールドの貿易体制を確立して、世界の貿易、金融、経済を支配し、さらに、軍事的には、昭和45年にNPT(核拡散防止条約)体制を敷くなどして、連合国による世界の完全支配秩序を確立させて今日に至つてゐる。

これら一連の過程は、軍事的屈服と経済的従属、特に、食料自給路線を放棄させ、我が国は、平時でなければ生存できない国家へと追ひやられ、軍事のみならず食料、資源エネルギーにおいても安全保障がままならない状態となり、現在もその路線を踏襲してゐるため、再び隷属トンネルに入つた感がある。

ともあれ、これらの講和条約群は、いずれも講和条約として同列であるから、先に締結された講和条約と後に締結された講和条約とが内容的に矛盾抵触する場合には、後に締結された講和条約の方が、その抵触する部分について優先的効力があり、先の講和条約の当該部分は後の講和条約の当該条項により改正されたことになる(後法優先の原則)。

具体的に言へば、まづ、部分占領を定めたポツダム宣言第7項は、降伏文書によつて全部占領へと変更された。また、ポツダム宣言第11項(再軍備禁止条項)と占領憲法第9条(自衛権及び自衛軍の否定条項)は、最終講和条約第5条(個別的・集団的自衛権及び自衛軍の肯定条項)及び我が国の国連加盟による国際連合憲章(条約)第51条によつて改正変更(廃止)されたことになるので、いはゆる占領憲法体制と講和(安保)体制とはなんら矛盾しないのである。

占領憲法の国内的効力

占領憲法が講和大権に基づく講和条約(憲法的条約)であるとすれば、この占領憲法(占領基本条約)は、対内的(国内的)関係において、その国法秩序の体系上の位置付けは、どのやうに評価しうるのか。

この点に関しては、より根本的には、国際法(条約)と国内法との法規範秩序の相互関係について、いはゆる「一元論」と「二元論」との対立と、憲法と条約との関係における「憲法優位説」と「条約優位説」との対立とをふまへて検討する必要がある。

思ふに、国際社会には、多数の対外主権国家(独立国家)が存在するので、個々の独立国家内の法規範である国内法体系と独立国家相互間の対外的な国際法体系との二つの異なつた法体系の領域がある。国内法(国内規範)体系と国際法(国際規範)体系とを統一する法体系(統一規範)は現在もなほ存在しない。

さうであれば、国内法体系と国際法体系とは、各々の体系に属する法規範が規律する事項や範囲を異にするので、単純な「一元論」は説得力を持たない。一元論とは、国際法に属する規範がそのまま直接的に国内法に属する規範として適用されるとするものであるが、国民国家の国際社会においては通常はあり得ない。特に、国家間のみを拘束する条約においては、それぞれの国民に対する直接の効力を考へることができないからである。

しかし、とりわけ、講和条約の場合は、戦勝国が敗戦国及びその国民に対して、内政干渉的な内容であることが一般であり、それが国内規範としての適格性がある限り、国内法としての直接の効力を認めうることになることは前述したとほりである。

まさに、ポツダム宣言の受諾から最終講和条約を締結するまでの講和条約群は、そのやうな内容を含むものであつたし、特に、占領憲法においては、直接に国内的効力を及ぼす目的で締結された講和条約であつた。

次に、憲法と条約のいづれが上位に位置する規範であるかといふ点についても、独立国家において、自国の最高規範とされる憲法が、その憲法の授権によつて締結される条約よりも優位(上位)であることは言ふまでもない。しかし、前述した欧州連合(EU)における欧州憲法条約のやうに、自国の憲法に優位する憲法条約により、国家連合を成立させる場合には、その条約(条約憲法)が優位することになるが、それ以外は自国が最高規範と定めた憲法が優位することは当然のことである。

これに対し、「条約及び確立された国際法規」(占領憲法第98条第2項)は、通常の憲法律に優位するとの見解があるが、「確立された国際法規」の概念は極めて不明確であり、また、一般の「条約」は、その締結手続が通常の憲法律の改正よりも簡易になされることとなつて、国内法体系の秩序を混乱させることになるので失当である。

ただし、この見解は、前述したとほり、占領憲法が条約の性質と効力しかないことを根拠づけるものとしては有用な学説であると云へるのである。

以上を総合すれば、

國體>根本規範>講和大権≧講和条約群(憲法的条約)≧通常の憲法律(=憲法改正権)>一般の条約(=条約大権)>法律≧緊急勅令

という法体系の図式となる。

講和大権を行使してなされた、ポツダム宣言の受諾、降伏文書の調印、占領憲法の制定、最終講和条約及び旧安保条約の締結などの講和条約群は、講和大権の権限の範囲内で成立するものであり、帝國憲法の定める通常の憲法律(憲法規範)に抵触する場合は、憲法的条約としてこれを改廃する効力があることになる。

しかし、根本規範に属する統帥大権等の大権事項は、講和大権によつて「停止」、「制限」されたが、独立によつて当然に復原した。また、通常の憲法律(憲法規範)については、当然には復原しないものの、憲法上の復原義務がある。

占領憲法第9条の解釈

政府は、集団的自衛権について、「国際法上、国家は集団的自衛権すなわち自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃をされていないのにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。わが国が、国際法上このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然であるが、憲法第九条の下において、許容される自衛権の行使はわが国を防衛するための必要最低限度の範囲にとどめるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。」(昭和56年5月29日政府答弁書)とする。つまり、占領憲法の解釈として、集団的自衛権は享有するが行使できないとするのである。

「権利はあるが使へない。」そんな権利は、はたして権利と云へるのか。やんぬるかな。そもそも、占領憲法は、非独立の占領状態で制定されたものであり、ポツダム宣言における「皇軍の完全武装解除」(第9項)が占領憲法第9条第2項前段の「戦力の不所持」として規定され、同じくポツダム宣言における「皇軍の無条件降伏」(第13項)が占領憲法第9条第2項後段の「交戦権の否定」として規定されたことは自明のことであつて、この政府の見解は、占領憲法が生まれた経緯を無視してゐる。占領軍が敵国である被占領地の国にその自衛権を認めることは、武装蜂起による独立運動を認めることになるから、占領憲法は「自衛権」をも完全に否定したものとして制定されたはずである。

占領憲法の前文にある「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」といふのは、紛れもなく「非武装宣言」であり、「自衛権放棄宣言」なのである。

そして、占領憲法第9条第1項は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と規定するが、自衛戦争は、ここにいふ「国権の発動たる戦争」に含まれるのであつて、自衛戦争の放棄は、取りも直さず自衛権の放棄である。

ましてや、ポツダム宣言第11項は、「日本国は、其の経済を支持し、且公正なる実物賠償の取立を可能ならしむるが如き産業を維持することを許さるべし。但し、日本国をして戦争の為再軍備を為すことを得しむるが如き産業は、此の限りに在らず。・・・」として、自衛のための軍隊どころか、再軍備に必要な産業まで禁止したのであつて、国際法上認められる自衛権ですら認めないといふ特別の講和条約を締結したのに、あたかも我が国が占領憲法制定時に普通の国であるかのごとく錯覚(曲解)してゐるのである。しかも、朝鮮戦争の前後において、第9条の政府見解は大きく変遷したことも周知のとほりであり、いまでは、「自衛隊は軍隊である」と首相が答弁しても、それでは自衛隊の存在は憲法違反であるとする声すら出てこない。まことにもつて規範意識が完全に喪失してゐる。

尤も、前述のとほり、占領憲法は憲法ではなく講和条約であるとすれば、このやうな詭弁を弄することなく、個別的自衛権及び集団的自衛権の享有とその行使は認められ、自衛隊は違憲の存在ではなくなり、このやうなおぞましい詭弁と遵法性の欠如といふ恥ずべき事態から解放されるのである。

講和条約群の破棄

以上のことからすると、帝國憲法は今なほ現存し、占領憲法といふ講和条約の国内的効力によつて帝國憲法の諸規定を侵害してゐる違憲状態を除去して復原させる義務が存在してゐることになる。

それには、国際法に基づいて対処する必要があり、まづ、考へられる方法としては、これらの講和条約群を一括して一方的に破棄通告をする方法がある。すでに講和条件は全て履行されたのであるから、将来に向かつて破棄通告しても、現在の国際関係には何らの影響もない。とりわけ、日米間においては旧安保条約は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(昭和35年6月23日条約第6号。新安保条約)に改定されたことにより失効し、米軍駐留目的は我が国の安全と極東の平和維持のためとされ、内乱条項は削除され、期限も10年間となりその後は自動延長といふことになつたものの、この新安保条約も米軍の駐留態様は基本的には変化がないので講和条約群に含められて評価できる。しかし、最終講和条約を破棄する際に、必ずしも新安保条約をも同時に破棄する必要もなく、その時点での政治判断に委ねる必要がある。

そもそも、敗戦国を永久的に拘束・支配する講和条約は認められず、我が国が国連に加盟したことによつて「戦後は終はつた」として講和条約群は全て「もはや無効」であると宣言しても、新安保条約以外の講和条約群の破棄を宣言してもよい。講和条約群に属する全ての講和条約は、前述の条約法条約の適用がないので、当事国からの一方的破棄が可能だからである。

それは、日ソ中立条約(不可侵条約)を破棄してソ連が参戦した例に倣へばよい。また、日華平和条約(昭和27年発効)は、田中角栄内閣による「日中復交」(昭和47年9月29日)によつて破棄されたが、その破棄のための交渉や破棄の手続は一切なく、大平正芳外相の「日華平和条約はもはや存在しません」と言明だけで破棄したのであり、講和条約群もまた同様の方法で行へるのである。

筆者とすれば、これで充分と思料するが、もし、そのことが諸般の事情で許されないと判断されるのであれば、安政条約の改正に向けた先人の努力を範として、その破棄に向けた努力を惜しんではならないことになるが、その場合には、直接の適用はなくても、条約法条約の趣旨に則つて以下の手法によることにならう。

まづ、就中、占領憲法(占領基本条約)については、その実質的当事者はアメリカである。もし、アメリカがこれを講和条約ではなく、我が国の憲法であると主張するのであれば(当然そのやうに主張してくると思はれるが)、条約法条約第62条(事情の根本的な変化)の趣旨に基づき、条約の終了を通告すれば足りる。それ以外の連合国(国連常任理事国)についても、同様の通告をするか、あるいは占領基本法からの脱退を通告すればよいのである。

もし、連合国の一部が、これを条約であるとし、占領憲法第9条についても未だ効力があると主張するのであれば、条約法条約第59条(後の条約の締結による条約の終了又は運用停止)の趣旨(後法優位の原則)に基づき、最終講和条約、国連憲章(条約)によつて占領憲法第9条が廃止されたことを理由に、その他の条項についても、我が国が国連に加盟したことを以て条約法条約第62条(事情の根本的な変化)の趣旨に基づき、条約の終了を通告することになる。

また、ポツダム宣言や降伏文書と占領憲法に至る過程が当時の国際法に違反するといふ事実、旧ソ連の日ソ不可侵条約違反の事実、アメリカによる原爆投下の犯罪事実、ソ連による皇軍将兵のシベリア違法抑留、東京裁判の不当性、アムネスティ条項の国際慣習法に違反した最終講和条約第11条の不当性その他様々な角度から大東亜戦争の正当性とその後における我が国に世界的貢献の事実をも事情変更の理由として縷々説明し、これらの事情が条約法条約第56条(終了、廃棄又は脱退に関する規定を含まない条約の廃棄又はこのような条約からの脱退)第1項(a)の「当事国が廃棄又は脱退の可能性を許容する意図を有していたと認められる場合」あるいは同(b)の「条約の性質上廃棄又は脱退の権利があると考えられる場合」に該当するとして破棄又は脱退の通告理由とし、さらには、現時点においては、報復防止のために永久に敗戦国を支配従属させる講和条約群を無効とする一般国際法の新たな新たな強行規範が成立してゐると主張して同第64条により失効終了を宣告することができる。

しかし、それでも相手国が承認しないときは、国際司法裁判所に提訴し、あるいは国連加盟諸国や国際世論に訴へて説得し、講和条約群全てを合意により将来に向かつて終了させ、あるいは我が国にとつて支障のある個別条項の削除ないしは運用停止を実現するための努力を行ふべきである。国際世論を主導的に喚起し、世界平和に貢献することこそ、これからの我が国の外交の基本姿勢でなければならない。そして、国連においては、連合国のみに限定した非民主的な常任理事国制度と拒否権制度、さらに敵国条項を廃止し、国連総会を最高決議機関とする国連の抜本的な民主化を図ることを目的とすべきであつて、我が国が常任理事国入りを目指すなどは狡い外道の企みである。このやうな国連改革すら実現できない国連であれば、国連から脱退することも覚悟した上での矜恃を保たなければならないのである。

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