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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百六十四回 飽和絶滅の危機 その八

ほやのきが はげしくしげる そのはてに さくらほろびて ともにつひゆる
(ほやの木(宿り木)が激しく茂るその果てに桜(宿主)滅びて共に潰ゆる)


天然痘(疱瘡)が欧州で猛威を奮つてゐるとき、エドワード・ジェンナーは、「牛の乳搾りをする娘たちは美しい。なぜならば、疱瘡にかからないから。」の噂を耳にします。


そして、その調査を始めますが、やはり、調査した限度では、乳搾りの娘は、牛痘に罹つても、手に発疹を残すだけで全身に発疹が出ません。ですから、顔にも発疹することもなく、その後が残ることもないので醜い顔にならないといふことです。


牛痘といふのは、疱瘡とよく似たもので、人間にも感染します。ヒトヒト感染しますが、これは疱瘡とは別の感染症です。牛痘以外にも、馬痘、サル痘、ラクダ痘といった近縁種もあります。


最も古い天然痘の記録は、紀元前1350年のヒッタイトとエジプトの戦争の頃であり、それ以後も、人類は天然痘の度重なる流行に苦闘し続けます。


わが国でも、支那、朝鮮からの渡来人の移動が活発になつた6世紀半ばに、西日本から東日本へと徐々に感染が拡大する地域的な大量発生(エピデミック)は、波状的に繰り返されてきました。


いはゆる仏教伝来の時期においても、天然痘のエピデミックが重なることから、仏教の普及と天然痘の流行とが重なり、仏教伝来や渡来人の流入が古来の神々を蔑ろにしたことの神罰であるとの見方も広がりました。


「独眼竜」と呼ばれた奥州の覇者である伊達政宗が幼少期に右目を失明したのも天然痘によるものであり、源実朝、豊臣秀頼、吉田松陰、夏目漱石らの顔にあばたを残したのも、この天然痘によるものです。


しかし、牛痘は人間が感染しても症状は軽く、手に発疹ができる程度で、全身には発疹が広がりません。そして、牛痘に罹つた人は疱瘡に罹らないと言はれてきたのです。これについては証明されてゐませんが、そのやうに信じられてきました。


当時も、免疫といふ認識があり、「人痘法」といふのがありました。これは、感染者の体の唾液などの一部を健康な人の鼻に吹き込み、人為的に疱瘡に感染させて免疫をつけるといふ方法です。


この人痘法は、被験者に充分な睡眠をとらせ、体調管理を万全にしてから、この施術を行ひます。つまり、ワクチン(模擬試験)を受けるのではなく、最良のコンデションで入学試験を受けさせてもらふことです。入学試験は、受験者の都合を考慮せずに日程が決まります。そのため、仮に正常な状態では実力が発揮できても、体調不良などで実力が発揮できない状態では、合格できる力があつても不合格になることがあります。そこで、受験者の最良のコンデションで受験して、それでも合格できなければ仕方が無いのです。


感染症に罹ることから逃れられないといふ厳しい現実に向き合ふとすれば、これは、特定の感染症に対する免疫を獲得するための有効で最適な方法なのです。


安保徹博士は、子供の感染症(はしか、風疹、おたふくかぜ、水痘など)については、昔から言はれてゐるとほり、たとへば、はしかの子が出たと聞けば、我が子の体調がよいときに、その家に遊びに行かせて貰つてくるのがよいのです。


ただし、模擬試験と入学試験との関係は、生ワクチンに限つた話です。それ以外のワクチンなどと明確に区別する必要があります。


しかも、その生ワクチンは、入試問題を盗み出したに等しいやうな、極めて入試問題のレベルに近い問題であれば、それは易しい模擬試験といふよりは、極めて入学試験に近いものですから、これに合格する力があれば、ほぼ入学試験に合格する可能性が高いのです。これは、人痘法といふ生ワクチンの亜型なのです。


いづれにしても、ワクチンに関しては、これ以外に説明すべきことは多くありますが、まづは、以上の予備知識を踏まへて、天然痘ワクチンの歴史についてもう少し話をする必要があります。


前にも述べましたが、エドワード・ジェンナーは、牛痘に罹つた者は天然痘に罹患しないことが解つたとして、1796年に、自分の使用人の8歳の少年に牛痘の膿を接種させた後に天然痘の膿を接種させたが発病しないことから、これにより天然痘ワクチンを作りました。

この治験は、使用人の子供を対象に人体実験をしただけであり、この一例だけでは、科学の証明に必要な再現性による証明にはなつてゐません。

また、人体実験を自分やその家族ではなく、自分の使用人の子供で行つたことに人道的、倫理的な問題があります。他人に被害を被らせてはならないとの信念で、母と妻に全身麻酔の漢方を投薬実験し、不幸にも母を死に至らしめ、妻を失明させることになつた華岡青洲の場合とは責任感が違ひます。


いづれにせよ、天然痘の直接接種(人痘法)の効果と充分な比較がなされることもなく、この方が安全であらうとの空気から、この方法がイギリスのみならず欧州全域に広がりました。ところが、平成25年(2013年)、モンゴルで採取された馬痘ウイルスのゲノム解析をした結果、ジェンナー由来の種痘に用ゐられてゐるワクチニアウイルスと馬痘ウイルスが99.7%同一のゲノムであることが判明しました。ワクチニアウイルスが馬痘ウイルスもしくはその近縁のウイルスである事が解つたのです。つまり、ジェンナーの種痘は、牛痘ウイルスではなく馬痘ウイルスがたまたま牛に感染したものを種痘として利用したものであり、種痘には一度も牛痘ウイルスは使用されてゐなかつたことが今頃になつて初めて明らかになつたのです。


ともあれ、江戸時代後期において、種痘は、天然痘(疱瘡)が流行してゐる日本へ種痘が入つてきます。種痘は生きてゐるワクチンのため、何度も途中で効果が消失したとして、何度も輸入に失敗してゐました。

弘化3年(1846)、佐賀で疱瘡が流行します。佐賀藩主鍋島直正が海外から種痘を取り寄せ、長崎のドイツ人医師オットー・モーニッケが種痘の接種に成功します。ところが、種痘をすれば牛になるといふ噂が広がり、容易に接種が広がりません。緒方洪庵などは、米や現金を手土産に頼み込んで種痘を受けさせました。まるで、子宮頸がんワクチン普及のため、接種者に食事券を配布するやうな方法です。安全性や有効性を説明せずに、カネで誘惑する邪道です。

この種痘は、先程説明しましたとほり、実際は牛痘ではなく馬種なので、牛になるのではなく馬になるといふ噂が「正しい噂」の筈ですが、緒方洪庵などの蘭方医も、蘭方医学文献の受け売り盲信者であり、自ら検証することもなく信じ込んだだけです。欧米盲信は今の医学も同じです。


ところが、幕府は、嘉永2年(1849)に「蘭方医禁止令」(外科と眼科を除く蘭方の医療を禁止)と「蘭方翻訳禁止令」(オランダの書物、オランダ語で書かれた書物の翻訳・出版を禁止)を出します。医学館総裁は、漢方医の多岐元堅であり、実証医学であることを自負する漢方医と文献医学の蘭方医の種痘論争において、科学によらずに、漢方医が蘭方医学を権力で制圧したのです。


ところが、オランダのスパイであつたフィリップ・シーボルトの弟子・伊東玄朴、戸塚静海らは、安政4年(1857)、北海道のアイヌの疱瘡感染者多数となつたことから動き始めます。一説によるとアイヌの人口が半減したとされたことから、箱館奉行・村垣範正を通じて幕府に請願し、幕府は住民6000人に3か月をかけて種痘接種します。天然痘が下火になつてきたのを種痘が効いたと思つたのか、安政5年(1858)5月には、江戸のお玉ヶ池種痘所が設置されます。


しかし、このころは、既に疱瘡の流行は下火になつてゐましたので、種痘に効果があつたとの証明はできてゐません。

それどころか、このころは、天然痘どころの騒ぎではない状況になつてきました。江戸などでコロリ(虎狼痢、虎狼狸)、つまり強い感染力と死亡率の高いコレラが大流行して居たのです。水と食物を介在して流行することが経験的に解つてゐましたが、江戸では、55日間で3万人が死亡してゐます。激しい下痢などを引き起こし、数日後にはコロリと死にます。


これは、安政5年(1858)5月、アメリカ軍艦ミシシッピ号が中国から下田へ向かふ途中に長崎に立ち寄つたことから始まります。このころは、コレラが世界中で大流行のときであり、入港後13日後に下痢を訴へる者が増えました。ポンペ・ファン・メーデルフォールト(オランダ人医師)が長崎奉行(岡部長常)に協力要請し、汚い水、生の食物を避けるやうに指示しましたが、長崎の人口約6万人のうち、コレラ罹患者1583人であり、これが瞬く間に全国に広がり、江戸で大流行したのです。


しかし、これも汚い水と生の食物などを避ける自衛的な保健政策を徹底させたことから、終息したのです。もちろん、ワクチンがあつた訳ではありません。ワクチンがなくても、ある程度経過すれば流行は終息するのです。


今回の武漢ウイルスは、SARS(重症急性呼吸器症候群)のウイルスを人工的に改造したウイルスと思はれることから、わが国で感染率や死亡率が欧米と比較して極めて低い理由として、GCGワクチンの「交差免疫」とか「訓練免疫」とかをわが国の人々が獲得してゐるためではないかと言はれてゐます。


交差免疫とか訓練免疫といふのは、模擬試験が極めて入学試験に近い場合に獲得できる免疫のことで、天然痘ワクチンもBCGワクチンも、牛痘菌や牛型結核菌といふ、人間と同様の巨大哺乳類によつて作られた生ワクチンであることから、入学試験に極めて近いので、その可能性があるといふことです。


ワクチンには、いろんな種類がありますが、生ワクチンとその他のワクチンとは明確に区別する必要があります。


生ワクチンは、病原菌やウイルスの力を弱めたものを体内に入れて免疫を作るものです。ヘトヘトにして弱はらせた生きた病原菌やウイルスですから、これが体内に入つてくれば、免疫細胞がこれと戦つて、ある程度の学習効果(抗体)が生まれる訳です。


ところが、これまでの①不活化ワクチンを初めとして、②ウイルスベクターワクチン、③メッセンジャーRNA(mRNA)ワクチン、④DNAワクチン、⑤組み換へたんぱく質ワクチン、⑥組み換へウイルス様粒子(VLP)ワクチンなどは、生ワクチンとは全く異質のものです。


これらを一つづつ説明するのが本稿の目的ではありませんが、簡単に比喩的に説明すると、①の不活化ワクチンといふのは、ウイルスを殺し、あるいは殺したと同様にその病原性を消失させた(不活化)ワクチンの一部を使つたワクチンです。これは、生きた敵兵を体内に入れるのではなく、その死体や生首などを体内に入れて、敵兵の姿形を認識させることによつて応戦準備をさせるやうな方法です。一度も戦つたことはないのですが、姿形を知らせて心づもりをさせるのも戦闘準備に必要だと考へたためです。

しかし、生ワクチンのやうに実戦経験がないのに、果たして、生きた敵兵が侵入してきたときに戦つて勝てるかとなると疑問なのです。


また、②のウイルスベクターワクチン、③のメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチン、④のDNAワクチン、⑤の組み換へたんぱく質ワクチン、⑥の組み換へウイルス様粒子(VLP)ワクチンなどは、喩へで言ふと、敵兵の骨格、構造などの情報(設計図)を手に入れて、敵兵とそつくりのハリボテの人形や蝋人形を作つて、それを体内に侵入させ、免疫細胞にこれを敵兵と誤信させて模擬戦闘をさせるといふ方法です。


こんな偽物の病原菌やウイルスによつて感染症に打ち勝てる実力を獲得できると結論付けることに科学的根拠はありません。効くも八卦、効かぬも八卦の類ひです。


また、体内の血液中や組織液中に存在する、免疫の中で大きな役割を担ふ免疫グロブリン(Immunoglobulin、略称Ig)には、IgG、IgA、IgM、IgD、IgEの5種類があるとされますが、その中の一つの「IgA」は、病原菌やウイルスの侵入を防御するといふ重要な役割を担つてゐます。生体は、病原菌やウイルスなどの抗原に対して、感染初期にはIgMを産生し、その後に遅れて本格的にIgGを産生します。IgGは、その後、長期間に亘り血漿中に存在して抗原に対する免疫応答を担つてゐるとされてゐます。


このことからすると、一般にワクチンは、病原菌やウイルスの侵入を防御する「IgA」を産出する感染予防ワクチンではなく、発症化、重傷化させないIgGを産出させるものと言はれてゐますが、その効果があることの科学的証明はなされてゐません。


このやうに、免疫機序は未知の世界です。ですから、「ワクチンは感染症予防において最も重要かつ効率的な手段」といふのは、何ら証明がなされてゐない単なる仮説に過ぎないのです。


種痘が人類を天然痘から救つたといふ根拠の乏しい風説を成功体験として、感染症はワクチンができれば解決できるといふ「ワクチン真理教」がその後世界に蔓延させてきたのです。


このやうに、感染症対策については、科学的根拠に乏しく、治験も不充分なワクチンを無批判に頼つたり、ワクチンと聞いただけで、その有効性と安全性が保障されてゐると盲信することが、現在そして将来の人類にとつて如何に危険であるかを知つてもらふ必要があります。

南出喜久治(令和3年2月1日記す)


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