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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第十六回 制限選挙

たみくさに こびへつらひて えらばれし おみがうらでは たみをあなどり
 (民草(大衆)に媚び諂ひて選ばれし臣(政治家)が裏心では民(大衆)を侮り)


最近は、選挙になるたび「一票の格差」がファナテックに叫ばれ、訴訟マニアによつて訴訟が提起されますが、こんなことで政治が振り回されたり、政争の具とされることにより、経世済民において喫緊の課題である最も大事なことが放置されてしまひます。

このことについては、「青少年のための連載講座 祭祀の道」の「第四十五回 無尽と賭博」で述べましたが、最も大事なこととは、「一票の格差」の是正といふやうな瑣末なことではなく、「一生の格差」の是正なのです。


所得格差、資産格差、生活様式格差がますます増大する格差社会となり、貧困層の生活がさらに困窮して、最終的には人の「一生の格差」がさらに拡大してゐます。これが、「賭博経済」を容認する経済制度の致命的な歪みであり、これを是正することが政治の最大の目的であるのに、それをせずに「一票の格差」といふ些末で形骸化した議論に目を奪はれ、本質的な政治制度や法制度を機能不全に陥れてゐるのです。「一票の格差」といふやうな、経済問題と全く無縁の政治問題といふのは、根本問題を解決する力が全くなく、閉塞感の捌け口として騒ぎ立てる、司法界と政界の単なるお遊びにすぎません。


「一票の格差」が起こり、定数是正を行はなければならない原因は、過疎化と都市集中です。そして、それを引き起こす遠因としては、賭博経済の経済構造にあります。その問題に切り込まず、イタチごっこのやうに訴訟が繰り返されます。仮に、理想的な意味で一票の格差が解消したとしても、一体それによつて「一生の格差」の是正といふ根本問題が解決するのでせうか。こんなことだけに目を奪はれてゐることによつて、根本問題の解決がさらに遠のくのです。


平成22年のジャスミン革命に始まる「アラブの春」といふ民主化運動を目の当たりにしたノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・E・スティグリッツは、「1%の1%による1%のための政治」と叫びましたが、それがアメリカでは、最上層の1%に対して「我々は99%だ」「ウォール街を占拠せよ」といふ運動へと発展しました。

これは、「一票の格差」の是正といふやうな形骸化した虚しい政治運動では根本解決にならないことから、参政権の閉塞的状態を生む元凶である経済構造の変革に向けられた初めての運動でした。

平成23年9月から発生した「ウォール街を占拠せよ」といふ運動は、それ自体に運動の限界があり、2か月程度で終息してしまひました。ウォール街を占拠しても賭博経済は根絶できません。「賭博経済を根絶せよ」ではなかつたし、それを解決する方策がなかつたからです。


私は、いまから18年前に、『参政権の閉塞的状況』といふ論文を発表し、これが『動向』の平成平成8年4月号と、『人民戦線』の平成8年5月25日号、6月25日号、7月25日号の三回に分けて掲載されましたが、改めてこの全文を別途同時掲載しますのでご覧になつてください。


そこでは、①政治の空洞化、②立候補供託金制度の問題点、③政党助成法の問題点などを指摘し、選挙運動の制限によつて新規参入を阻む既成政党とメディアとによる「政治カルテル」があることを指摘しましたが、この傾向は、現在ではさらに一層顕著になつてきてゐます。この論文で述べた問題点は、まさに現在進行形の問題なのです。


教科書的理解では、わが国は、戦前から戦後にかけて制限選挙から普通選挙へと移行し、拡大した選挙民の政治的意見を国政に届けるための導管的役割として「政党」があるとして、政党が法制度においても公式に認められるやうになつたと説明されてゐます。


ところが、現在の政治状況は、こんな空虚な説明とは全く乖離してゐます。いまやわが国は、実質的には「完全な制限選挙制度の国家」となつてゐるのです。


台湾では、平成25年6月21日に、馬英九政府が国民に全く知らせないまま、中国との「サービス貿易協定」に調印したことを突如発表し、平成26年3月17日に立法院(国会)でこれを強行採決したことから、翌18日の夜に、これに猛反発した学生集団が国会に突入して占拠するといふ事態が発生し、この行動は広範な一般国民の支持を受けました。これが太陽花學運(ひまわり学生運動)と呼ばれるものです。


そもそも、政治と経済とは「経世済民」として一体のものなのです。経済問題と切り離した政治問題、経済問題と無関係な政治問題といふものは全く無意味であることを台湾人は実感してゐるのです。


そして、この台湾の「ひまわり学生運動」の影響を受けて、平成26年9月28日からの香港で「雨傘革命」といふ民主化運動が展開されました。

平成9年7月1日に英国から中国に香港が返還され、昭和59年12月の英中共同声明によつて、①香港では外交と防衛を除いて大幅な自治権が与へられ、②資本主義制度と生活様式も50年間は変更しないといふ一国二制度が認められました。


つまり、香港は、「京人治港」ではなく「港人治港」であると北京政府は約束したのです。「京」とは「北京」のことで、「京人」とは北京人(中国政府=共産党)のことです。そして、「港」とは「香港」のことで、「港人」とは香港人のことです。そして、「治港」とは、香港を治めること、すなはち香港人による自治を意味しました。


しかし、平成元年6月4日の天安門事件後にアメリカに亡命した新華社通信香港支社長であつた許家屯の回顧録によれば、鄧小平は「港人治港とは、資本主義を変へないといふ前提の下での港人治港であり、労働者階級ではなく、資産階級を中心とした政権下での港人治港である」と繰り返し語つてゐたといふのです。


つまり、これは、「商人治港」といふことです。「商人」とは、資本家(財閥、ビジネスエリート)階級のことを意味します。候補者の人選は北京が決めて、香港人が立候補することはできません。被選挙権についての典型的な制限選挙なのです。


共産主義を指導理念とする中共政府が、「労働者階級」の自治を認めず、「資産階級」による統治を認めるといふのは、明らかに思想的な論理矛盾ですが、もし、香港でこれを認めてしまふと、それが大陸にも波及して共産党一党独裁体制が揺らぐことを恐れてゐるからです。

ところが、このやうなことは、台湾や香港だけの問題ではありません。香港人が自由な意思によつて政治参加できないといふ制限選挙制度なので、わが国とは事情が違ふといふやうに思つてゐる日本人が人が多いと思ひますが、決してさうではないのです。


わが国の選挙制度は、香港ほど露骨な制限選挙ではないとしても、極めて巧妙な方法で、これと同じやうな、あるいはそれ以上の制限制度になつてゐるのです。


つまり、政党助成法などであつく保護された政党は、いはば「政治財閥」です。新たに政党を結成しようとしても、多くの資金が必要になり、いはば「新規参入」することが事実上困難です。政党助成法によつて資金が交付される政党は、既成政党のみであり、これから新規に結成する政党へは助成はありません。


独禁法(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律)は、経済活動の領域のみに限定されるもので、政治の領域には及ばないので、経済の世界以上に、政治の世界では寡占が進んでゐるのです。

そして、政府公認の所定の政党要件を満たす政党であれば、政党助成法による助成金を受けられ、選挙運動においても、所定の政党要件を満たせば、それ以外の政党の候補者や無所属の候補者とは、公報やマメディア報道による取り扱ひなどに大きな違ひがあり、明確に「差別」されるのです。


具体的に言へば、既成政党のうち、衆議院議員総選挙(小選挙区比例代表並立制)で比例区に立候補できる条件としては、政治団体のうち、所属する国会議員(衆議院議員又は参議院議員)を5人以上有するものであるか、近い国政選挙で全国を通して2%以上の得票(選挙区・比例代表区いづずれか)を得たものといふことです。これが「政党要件」といふもので、これを満たさない政治団体は、完全に差別されるのです。


そのために、このやうな差別を受けずに立候補しようとする場合には、①政党として認められてゐる政治団体に所属してゐる人か、②政党として認められてゐない政治団体の場合は、公職選挙法4条により衆議院の議員定数475人のうちの10分の2以上の候補者を立ててゐるときの、その政治団体に所属してゐなければらないことになります。


ですから、自己の政治的主張が政党要件を満たす既存の政党が掲げるものとは異なる者が立候補する場合は、自らが新規の政党(政治団体)を結成し、あるいは、自己の主張と同じくする政党(政治団体)に所属する者として立候補することになります。


ところが、その場合は、衆議院議員定数475人の10分の2に相当する95人を立候補させることが必要となり、これを比例区で全員立候補させようとすると、一人当たり600万円の供託金(合計金5億7000万円)が必要となります。こんな多額の資金を調達できるのは、零細弱小の政治団体では全く不可能ですし、法定得票数に達しなければその全額も没取されてしまうのです。


これこそ実質的に、被選挙権を不当に差別するもので、明らかに「法の下の平等」に違反するものであつて、形式的かつ形骸化した意味で「法の下の平等」に違反するとする「一票の格差」の類ひではないのです。


候補者は、有権者の要望とは無関係に不公正に選定がされ、その候補者の中から代表を選ばなければならない制限選挙制になつてゐるのですから、そのことは香港と実質的に何ら変はらないのです。


政治にもレントシーキング(rent-seeking)があるといふことです。レントシーキングといふのは、富裕層や大企業が政府や官僚に働きかけ、富裕層(大企業を含む)が自己に有利な法令を成立させ、産業振興などの産業政策の名目で、極めて安価にて国家財産(土地、鉱業権などの公共セクター)の払ひ下げを受け、又は、規制緩和による便益を優先的に受け、あるいは特例的な優遇(貿易、店舗展開、販売活動などについての有形無形の優遇)を受けるなどして、高い収益率や利益率を独占的に享有する大きな便益を政府からの「贈り物」として搾り取る活動のことです。


そして、これらの活動によつて富の収奪が加速します。このやうにして、経済の世界では、「経済財閥」が強大化することによつて、「財力格差」が生まれ、それが拡大増幅するのです。これと同じやうに、政治の世界でも、既成政党といふ「政治財閥」が強大化することによつて、「政治格差」が生まれ、候補者(被選挙権者)が実質的に制限され、それが固定化します。「政治家の世襲制」は、その固定化の現象の一つです。


既成政党公認の候補者と無所属や新規政党の候補者の取り扱ひは、メディア報道においては完全に差別され、しかも、それによつて法定得票数以下の得票しか得られなかつた候補者が納付した選挙供託金は、「懲罰的」に没収されます。得票数が少ないことが、どうして没収といふ不利益処分を受けることになるのでせうか。


経済の世界では、「財力」を寡占する「財閥」の増大によつて「経済格差」が広がり、政治の世界では、「権力」を寡占する「政党(政治財閥)」の増大によつて、大半の国民から被選挙権が奪はれて行く実質的な制限選挙制度といふ「政治格差」が広がります。まさに、経済の世界と政治の世界とは、このやうな相似性があるのです。


つまり、わが国こそ、「一生の格差」を是正するための、「ひまわり学生運動」や「雨傘革命」が必要なのです。この論理によつて、多くの志ある人たちが、それぞれ訴訟を提起する必要があります。一票の格差の是正といふ形式論の訴訟よりも、一生の格差の是正といふ実質論の訴訟の方が、世の中のためになるのです。

平成二十六年十二月一日記す 南出喜久治


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