
連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編
第五十回 小沢一郎と憲法無効論
ほねなしの うでづんばいを まにうけて ふりまはされし ひとときのくい
(骨無しの腕飄石を真に受けて振り回されし一時の悔い)
前回(第51回)で触れましたが、第一次安倍内閣が成立した約1か月後の平成18年10月18日に行はれた第165回国会の衆議院国家基本政策委員会合同審査会において、自民党総裁安倍晋三首相と民主党代表の小沢一郎氏との党首討論において、
(小沢一郎)
総理の主張を推し進めると、日本国憲法は本来無効だという方が論理としては一貫しているように思うんですけれども、その点についてはいかがですか。
との問ひに対し、
(安倍晋三)
現在、であるからそれが無効だという議論は、私はもう既に意味はないのではないだろうか、このように思っています。
と答へたのに対応して、
(小沢一郎)
既にもう定着している、そういうことをお話しになりました。事実そのとおりだし私自身は思っております。・・・
として、占領憲法は「定着説」を依拠して、憲法として有効であるとしました。
しかし、私は、それまでの小沢氏に対して、「あること」について信頼と期待を寄せてゐました。
その「あること」とは、自由党の党首であつた小沢氏が、平成11年9月特別号の『文藝春秋』で、「日本国憲法改正試案」の論文を発表し、そこで「占領下に制定された憲法は無効」と主張したことを最後まで政治信条として貫いてくれるとの信頼と期待を寄せたことでした。
その傾向は、自民党時代からあり、私も論文や資料等を小沢氏に対して頻繁に提供してきましたので、遂に決断してくれたと感動したものでした。
その論文には、
「結論を言えば、昭和二十六年にサンフランシスコ講和条約が締結され、国際的に独立国として承認されたことを契機に、占領下に制定された憲法は無効であると宣言し、もう一度、大日本帝国憲法に戻って、それから新しい憲法を制定すべきであった。」
と述べてゐるのです。
つまり、これは、曲がりなりにも菅原裕の『日本国憲法失効論』に依拠して、帝国憲法の復元改正を主張してゐたのです。
そして、最近まで、この論文は、小沢氏の個人サイトのホームページに掲載されてゐましたが、現在は削除されてゐます。
もちろん、「生活の党と山本太郎となかまたち」といふ得体の知れない政党のホームページにも掲載はなく、こでの憲法に関する見解には、無効論の「む」の字も出てきません。
それどころか、平成27年5月8日には、自民党の憲法改正試案に対して、小沢氏は、「内容は大日本帝国憲法よりも復古的といえるもの」で「到底賛同できるものではありません。」と発言してゐます。
そして、小沢氏は、安保法制が立憲主義に違反するとして、共産党などと共同して主張し、占領憲法の制定自体が憲政史上最大の立憲主義違反であることに口をつぐみ、頬被りしてしまつたのです。
小沢氏は、何かとこのこと以外のことで物議を醸して注目されてゐますが、そのやうな枝葉末節のことよりも、このことこそ大問題なのです。政治家たる者の憲法観がこれほどまで致命的に変節することが最大の問題なのです。
私は、小沢氏がこのやうな変節奸とは思ひませんでしたし、真正護憲論に協力できる人物の見立てを誤つたことを後悔してゐます。
いまでは、このやうな者が一日も早く政界から引退することが政治の浄化になると信じて疑ひません。
南出喜久治(平成28年5月1日記す)